蘇るもの |
義兄のお父様が、震災時、避難させてもらった際に、
ほんとに大変だったな、といいながら
渡してくれた大きな袋の中にあった
カシミヤのニットカーデ。
数えられないほどのカシミヤのニットと、
食べ物などいろんなモノを入れてくださっていました。
私達姉妹が泊まるホテルを手配してくれて、
全部負担してくれて、
診療が終わると、
美味しいもの食べに行こう、と
避難していた時は、
毎日のように食事に連れてでかけてくれました。
避難した当日、
すすだらけの私がお味噌汁を飲んで、
「自分だけこんなに美味しいものを食べて、、、両親にも食べさせてあげたい」と、
泣きべそをかくと、
戦争の時は、もっとみんな辛かった、これぐらいで泣いたらあかん!と
叱ってくれました。
後で、子供が元気に過ごしてたら、親はそれが一番嬉しいんやから、
ぐずぐずしてたらあかん、笑っとかなあかん、と諭してくれました。
このニットは、
その紙袋の中の一枚。
ニットのほとんどはミラショーンのもので、
このカーデは、アパレルで、上質なカシミヤになれていた私でも
驚くような地厚さで、しっかりと編みこまれた
本当に高級なものでした。
あれからもう20年・・・
何度袖を通したかわかりません。
ここ数年は主人が部屋着の上に羽織ったり
ゴルフの練習着にしていたのですが、
今シーズンは、私がスカートにしたり、羽織ったり、
ストールのように首元に巻いたりして使っています。
洗うと、
ふわっとした柔らかさが戻ってきます。
何度か付け替えたボタン、毛玉ができたらカットして、
何度でも、蘇ります。
あの時の記憶も一緒に。
*
義兄のお父様をいつもドクターと呼んでいました。
初めてドクターと、お会いしたのは、
震災の直前、
姉の結婚前の両親の顔合わせの食事の席でした。
私も同席し、
全員並んで着席した際に、
ドクターが両親たちと挨拶を交わし終えるのを待って、
私は端っこから
小さな声で、
「こんにちは」と会釈しました。
ドクターは顔ごと大きく私に向けて、
大きな大きな笑顔で
「こんにちは!」と
私の10倍ぐらいの大きな声で
挨拶を返してくださいました。
その時の私が感じた感情は、
人には話したくないぐらいの
鮮烈なものでした。
つられて、私も笑顔になりました。
今でもあの笑顔はすぐに蘇ります。
何かにつけ自信のなかった私を、
きちんと真正面から認めてくださった瞬間でした。
こんな方がいるんだ、と思いました。
どうしてか説明できませんし、理解してもらおうとも思いませんが、
笑顔で、認めてもらえるということが、
こんなにも嬉しいことなのかと、
そう思わせる方でした。
本当に素敵な方でした。
カッコよくて、男前で、ボルサリーノのハットが似合って、
女の人にも男の人にも、モテて、たくさんの人に愛され、
エルメスのニットとUNIQLOのヒートテックを愛用していたドクター。
あんな人にはもう出会えないような気がします。
主人は、今までの人生で出会った人の中で、
一番、格好良い人だったと泣きました。
父は全部を包み込むような、温かい笑顔の人でした。
ドクターは、自分が持つ眩しいぐらいの光で、
こちらまで明るく輝かせてくれるような笑顔の人でした。
二人の笑顔は、
私の中で何度でも蘇ります。
出会えたことに感謝します。
ずっとずっと感謝します。
今年の冬も、いろんなことを思い出しながら、
このニットを愛用しようと思います。